金沢城はなぜ天守がない?落雷での焼失と、代わりに建てた三階櫓

金沢城に天守がない理由を問い、白い櫓と長屋の一般的な姿を描いた表紙

金沢城に天守がないのは、1602年に落雷で焼け、その後は天守として再建されなかったためです。代わりに建てられたのは「三階櫓」。天守を再建しなかった背景について、金沢城公園の公式解説は、江戸幕府への配慮があったと考えられると説明しています。

白い櫓と長い屋根が並ぶ金沢城。「立派な建物があるのに、天守はどこ?」と気になりますよね。たどってみると、天守を失ったあとにも、別の建物で城の歴史が続いていました。金沢城そのものがなくなったわけではないのです。

悩む庶民

金沢城って、最初から天守がなかったの?

かつてはあったんだよ。焼けた天守、代わりの三階櫓、いま見える櫓を分けてみると、話がつながるよ。

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天守は1602年の落雷で焼けた

金沢城の天守を建てたのは、前田利家です。石川県の解説では、1586〜1587年に造営されたと考えられています。利家のあとを継いだ利長の時代、1602年10月30日に落雷で焼失しました。

ここで少し意外なのが、あったことは分かっていても、どんな姿だったかははっきりしないこと。県の金沢城調査研究所は、天守の外観や構造は分からないとしています。金沢城公園の解説も、形を示す図面が確認されておらず、正確な位置も判明していないと説明しています。

だから、「こんな天守だった」と立派な絵を描いてしまうと、分かっていない部分まで決めてしまいます。この記事の図も、昔の天守の姿を復元せず、年代と出来事を示します。

出典:金沢城公園「天守、三階櫓の史料」、石川県「金沢城の建造物について」Q3-1。

天守の代わりには「三階櫓」を建てた

天守が焼けた翌年の1603年、その代わりに三階櫓(さんがいやぐら)が建てられました。櫓は、見張りや防御などを担う城の建物です。天守をそのまま造り直すのではなく、別の建物を置いたんだ!

ただし、その三階櫓も残り続けたわけではありません。1631年の火災で焼けたあと、ほどなく再建されましたが、1759年の大火で再び焼失。以後は再建されませんでした。

次の図では、天守の焼失と、三階櫓の焼失を別の段にして見てください。1602年と1759年は、同じ建物が焼けた二つの日付ではありません。

金沢城天守は1602年に落雷で焼失し再建されず、代わりの三階櫓は1603年建設、1631年焼失後再建、1759年再焼失後に再建されなかったという二段の年表
AI生成の模式図。天守と代替の三階櫓の出来事を区別する年表です。木材や道具は出来事の象徴で、建物の外観・位置や火災の現場の復元ではありません。年代の間隔は実時間に比例しません。

「金沢城の天守はいつなくなった?」への答えは1602年。1759年は、代わりを担った三階櫓が最後に焼けた年です。二つの建物を分けると、消失の年代を取り違えずに読めます。

悩む庶民

天守がなくなったら、そのまま空っぽになったのかと思っていた!

代わりの三階櫓があった時代もあるんだ。しかも三階櫓は一度再建されているから、「火事のあと何も建てなかった」とひとまとめにはできないね。

なぜ天守を再建しなかった?幕府への配慮と考えられる

加賀百万石と聞くと、大きな天守を再び建てられそうに思えます。それでも天守としては再建されませんでした。

金沢城公園の公式解説は、その背景を外様大名としての江戸幕府への配慮があったものと考えられる、と説明しています。大きな天守を建て直すかどうかには、徳川家との関係を意識した判断があったのではないか、という見方です。

ここは、焼けた日付とは分けて読むところです。「幕府に再建を禁止された」という命令を、この資料が示しているわけではありません。前田家が再建しなかった背景についての解釈であり、理由を一つの確定事実にしてしまわないようにします。

天守を造り直さなかったことと、城を使うのをやめたことは別でした。天守のない城にも、その後の歴史がある。そう分かると、「足りないお城」という見方が少し変わってきます。

いま見える菱櫓や長屋は、天守とは別の建物

写真で目を引く白い建物は、菱櫓(ひしやぐら)・五十間長屋(ごじっけんながや)・橋爪門続櫓(はしづめもんつづきやぐら)などです。この三つの現在の建物は、2001年に復元されました。1602年に焼けた天守や、本丸にあった代替の三階櫓と同じ建物ではありません。

兼六園観光協会の解説をもとに、それぞれの役割を並べると違いが見えてきます。

建物もとの役割
菱櫓城の表裏を見張る物見櫓
五十間長屋武器などの倉庫。戦いの際には二の丸を守る城壁
橋爪門続櫓二の丸の正門である橋爪門を監視する櫓

長い建物はただの通路ではなく、倉庫と守りの役割があったんですね。高い建物を全部「天守」と呼ばず、何を見る・何をしまう・どこを守る建物かと考えると、並んだ屋根にも違いが見えてきます。

出典:兼六園観光協会「兼六園と金沢城公園」の菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓の説明。櫓の役割全体は、櫓とは?天守との違いでも整理しています。

金沢城は「天守がない」からこそ、建物の名前に注目したい

次に金沢城の写真を見るときは、長い五十間長屋と、その両側の櫓に目を向けてみてください。天守を探すだけでは気付きにくい、見張り・倉庫・門の守りという役割が並んでいます。

金沢城の天守は1602年に焼失。そのあとには三階櫓の時代があり、現在見える櫓や長屋にはまた別の履歴があります。一つの城の中に、建物ごとの歴史が重なっている。「天守はどこ?」から始まった疑問が、城を少し丁寧に見るきっかけになりますね。

城全体と天守の違いを先に確かめたい方は、天守閣とはどこ?お城とはどう違う?へ。火災後に天守を再建しなかった別の城として、駿府城の経緯も比べてみてください。

図や城歩きの本でも、天守だけでなく櫓や長屋の名前を追うと、城の見方が広がります。

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資料の確認日:2026年10月11日。表紙と年表は城なび制作のAI生成の模式図です。金沢城天守の外観・位置、当時の火災の現場を復元したものではありません。

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