松江城はなぜ壊されずに残った?180円の売却危機と、天守を守った人々

松江城の天守のイメージと、なぜ残ったかという問いを示す表紙

松江城の天守が壊されずに残ったのは、明治の売却・破却の危機に地元の人々が保存へ動き、軍側との調整で取り壊しを避け、その後も修理が重ねられたからです。ここでは、とくに1875年の危機と、その後の保存の歩みをたどります。

黒い板壁が印象的な松江城の天守は、1611年に完成した建物です。400年以上も建っていると聞くと、初めからずっと大切にされてきたように思えますよね。ところが、この天守にも180円で売却され、取り壊されかねない時期があったのです。

今は国宝の天守なのに、壊そうとしていたの?

今の価値が、当時から同じように認められていたとは限らないんです。「壊さず残す」と決めることと、傷んだ建物を直し続けること。その両方が必要でした。

タップできる目次

1875年、天守にも180円の値段がついた

明治になると、松江城は陸軍省の所管になります。松江市の『史跡松江城保存活用計画』によると、1875年(明治8年)、城内の建物や附属物が、取り払うために入札へかけられました。

城の公式年表には、櫓や門、御殿などが取り壊され、売り払われていったことが記されています。天守だけが、最初から安全な場所に置かれていたわけではありません。

市の計画が『島根縣誌』をもとに紹介する、天守の売却予定額は180円。これは当時のお金の額です。現代の180円の感覚で「ずいぶん安い」と決めつけるのは早計ですが、大きな建物が失われかけたことには驚かされます。

出典:松江市『史跡松江城保存活用計画』第2章、本文16ページ、松江城公式「歴史・藩主」。

資金を出した人と、保存を働きかけた人がいた

この危機を前に動いた一人が、元松江藩で銅山に関わる役人だった高城権八です。高城は、藩政下で銅山の採掘に携わっていた豪農、勝部本右衛門と、その子の景浜に天守保存の支援を求めました。

市の計画によると、勝部家はこれに応じ、天守の落札額と同じ額を広島鎮台へ上納したとされています。鎮台とは当時の陸軍の組織です。単に「お金を出して城を買った」という一言より、保存へ向けたお金の行き先が見えてきます。

さらに、入札の責任者だった広島鎮台の斉藤大尉も、高城らの強い願いを受けて陸軍省を説得し、保存を実現させたと記されています。資金の支援と、取り壊す側への働きかけ。両方がつながっていたんですね。

1875年の天守保存に向け、高城権八の支援要請、勝部本右衛門父子の上納、軍側の調整を順に示す図
1875年の天守保存へ向けた関係を示すAI生成の模式図。書類や包みは象徴的な表現で、実物・交渉場面の復元ではありません。

公式年表では、勝部父子と高城らの尽力で天守が「買い戻される」と要約されています。ただし、天守を取り壊さずに残した経緯と、城地全体の所有者の変化は別の話です。市の計画は、城地が陸軍省から松平家へ払い下げられた年を1890年としています。180円で城と土地のすべてを手に入れた、という意味ではありません。

出典:松江市の保存活用計画、本文16ページ「陸軍省所管期」「松平家所有期」。人物名は同計画と松江城公式の表記に従っています。

取り壊しを止めても、修理しなければ残らない

破却の危機を乗り越えたら、それで一件落着でしょうか。木造の大きな建物を、長く保つには、その後の手入れも欠かせません。

松江市の計画は、1892年ごろには天守の保存修理を求める声が高まり、準備が進んでいたと説明しています。明治の本格的な修理は1894年6月に始まり、同年9月に終わりました。

さらに、公式年表では1950年から1955年にかけて、昭和の大解体修理が行われています。壊すために建物を解体することと、残すために解体して直すことは、目的が正反対。同じ「解体」という言葉でも、こちらは保存のための仕事です。

1875年の破却回避、1894年の明治の修理、1950年から1955年の昭和の解体修理を並べた年表
破却の回避と、その後の修理を分けたAI生成の模式図。年代の間隔は比例せず、建物・道具・瓦の細部や修理現場の復元ではありません。

だから、「現存する天守」は「一度も修理せず、そのまま立っていた天守」という意味ではありません。古い建物を受け継ぐために、手を入れてきた歴史も含めての現存なのです。目の前の姿をつくっているのは、建てた時代の技術だけではないんだ!

出典:松江市の保存活用計画、本文16〜19ページ、松江城公式年表。年表図は保存に関わる主な出来事を抜き出し、全修理歴を示すものではありません。

「天守が残った」と「城が全部残った」は違う

松江城を「昔のお城がそのまま残る場所」とだけ紹介すると、城内の建物すべてが江戸時代から残っているように聞こえます。けれど、1875年の経緯だけ見ても、失われた櫓や門、御殿がありました。

天守は、お城を構成する建物の一つ。天守が残ったことと、城内のすべての建物が残ったことを分けると、保存の意味がはっきりします。市の計画は、現在の南櫓・中櫓・太鼓櫓についても、史料などに基づいて復元した建物として説明しています。

古くから残るもの、いったん失われたもの、後に姿を取り戻したもの。城内の建物を、同じ一つの年代で見ないことが楽しむ手がかりになります。

松江城を見るときは、つくった人の後にも注目

松江城の天守を写真や現地で見上げるときは、城主や築城の話に加えて、「誰が残そうとし、誰が直してきたのだろう」と考えてみてください。

180円の売却危機の背後には、保存を願った人、資金を支えた人、軍側で調整した人がいました。その先には、傷んだ建物を直す仕事が続きます。立派な天守の姿が、つくった人だけでなく、受け継いだ人たちの仕事にも見えてきますね。

松江城とほかの古い天守を見比べたい方は、現存12天守の一覧へ。国宝の天守とその評価については、国宝5城の紹介も参考になります。

城巡り全般の見方を広げる書籍は、以下で紹介しています。今回の松江城保存史の根拠は、末尾に挙げた公式資料です。

広告:以下の書籍紹介にはアフィリエイトリンクを含みます。購入時は版と新品・中古の区分をご確認ください。

お城巡りに持っていくべき本の紹介

ちょっと待ってください!手ぶらでお城に行こうとしてませんか!?

お城巡りにガイドブックは必須です!持っていくだけで何倍も魅力が引き出せます!

持って行って良かったおすすめの本を紹介します!

お城初級者向け:日本100名城公式ガイドブック

専門的な知識はあまりなく、ただ単にお城いってみたい!全国の有名なお城の概要を知りたい!

という方にはコチラ!概要レベルの紹介で、見どころなどの情報がギュッと詰まっています。

さらには日本の他の名城も紹介しているので、次に次にお城に行きたくなる情報も満載!

お城中上級者向け:城の攻め方・つくり方

こちらは、ある程度お城をめぐって、天守の美しさだけではなく、内部構造や城郭、土塁、石垣、門、櫓などお城を成している構造物に着目している方向けです!

より深くお城に対しての知的好奇心がわく内容になっており、これを見ながら巡ると、着眼点が「お城っていいな~」から「このお城を攻めるには/守るにはどうすればいい!?」と変わってきます!おすすめです!

参考資料

資料確認:2026年10月19日。表紙と本文図はAI生成の模式図です。建物・書類・道具・瓦の細部や、交渉・修理現場の正確な復元ではありません。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

タップできる目次