萩城はなぜ天守がない?明治の解体と、今も残る天守台

萩城に天守がない理由を問い、建物のない天守台と水堀を象徴的に描いた表紙

萩城に天守がないのは、明治の払い下げに伴い、1874年(明治7年)に天守などの建物が解体されたためです。もともと天守を建てなかった城ではありません。かつては5層の天守があり、今もその土台の石垣や内堀が残っています。

石垣の上に建物が見えないと、「ここには何があったんだろう」と気になりますよね。萩城の場合は、戦いで焼け落ちた天守を想像するより、城を使う役割が変わった幕末から明治の流れをたどると、今の姿につながります。

立派な土台だけ残っているのは、建設途中だったからじゃないんだ!

そうです。萩城には天守が建っていました。「天守がない」という今の景色だけで、昔もなかったとは決められません。

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1874年、天守は取り壊された

萩市は、1874年に天守閣が解体されたと説明しています。萩市観光協会の解説では、その前年の1873年に政府から萩城払い下げ令が下り、翌年に天守や櫓、門などが解体されたという順番です。

「払い下げ」は、政府などが持つ土地や建物を民間などへ売り渡すこと。萩城では、その処分の流れの中で建物が失われました。天守が今ない直接の出来事は、明治時代の解体だったのです。

ただし、「解体されたこと」と「城跡が全部なくなったこと」は別です。萩市が現在まで残るものとして挙げているのは、石垣と内堀。建物が消えたあとにも、城の形を読み取る手がかりが残っています。

出典:萩市「萩エリア~萩市の資産 萩城下町」、萩市観光協会「萩城跡」歴史の解説。

その前に、藩の中心が萩から山口へ移っていた

話を少し戻すと、城の役割は明治になって突然変わったわけではありません。1863年(文久3年)、藩庁が萩から山口へ移っています。藩庁とは、藩の政治を行う役所です。移転は天守解体の11年前で、まだ江戸時代の出来事でした。

観光協会は、海岸に近い萩では外国船の攻撃を防ぐことが難しかったことと、山口が領内の中心付近にあり各地へ指示を出すのに便利だったことを、移転の背景として説明しています。城そのものの見た目より、どこで政治を行い、どう地域を動かすかが変わっていたんですね。

その後、萩城の機能は縮小していきます。1863年の藩庁移転、1873年の払い下げ令、1874年の建物の解体。この三つを一つの出来事にせず、順に追うのがポイントです。移転したその日に天守を壊したわけではありません。

1863年の藩庁移転、1873年の払い下げ令、1874年の解体、現在残る石垣と内堀を順に示す年表
AI生成の模式図。書類・材木・瓦・石垣は象徴表現で、実物史料や現場の復元ではありません。年代の間隔は比例しません。

出典:萩市観光協会「萩城跡」。年表は出来事の順序を示すもので、図の間隔は年月の長さに比例しません。

昔は、指月山のふもとに5層の天守があった

萩城は毛利輝元が築いた城です。観光協会の解説によると、1604年に築城が始まり、1608年に城が完成しました。天守の完成も1608年ごろとされています。

ここで思い浮かべたいのは、山の頂に建物が一つだけ立つ姿ではありません。5層の天守があったのは、指月山の南側のふもとに置かれた本丸です。本丸には、藩主の住まいと政治の場である御殿もありました。

観光協会のページでは、明治初期に撮影された天守の古写真も紹介されています。解体が1874年だったからこそ、写真に写る時代まで建っていたのです。今の空いた石垣の上に、かつて建物があった。その違いが具体的に見えてきます。

出典:萩市観光協会「萩城跡」本丸・二の丸・三の丸、古写真の解説。本記事の生成画像は、その古写真を複製したものではありません。

今見るなら、建物の足元だった石垣に注目

天守がなくても、見るものがなくなったわけではありません。まず注目したいのは、天守を支えていた天守台です。観光協会は、現在残る天守台の高さを約11mと紹介しています。

石垣は下の裾が大きく広がり、上へ行くにつれて勾配が急になる形。重い建物を支えていた足元を、今は建物に隠されずに眺められます。天守の屋根だけを探していると通り過ぎてしまいそうですが、「なくなったものの土台」を見ると、景色の意味が変わるんだ!

次に、内堀と石垣のつながりへ目を移してみてください。天守は城を構成する建物の一つで、堀や門、御殿などを含む全体が城です。萩では、失われた天守と、残っている城の遺構を分けて見ることができます。

土台の名前や役割を知ってから見たい方は、天守台とは何かへ。天守閣とお城の違いも整理しておくと、建物がない城跡を楽しむ手がかりになります。

天守のない理由は、城ごとに確かめたい

萩城の答えは、1874年の解体です。けれど、天守のないほかの城にも同じ答えが当てはまるわけではありません。まずは「建っていたのか」「いつ、どう失われたのか」を、その城の資料で確かめることが大切です。

明治に失われかけた天守の対照として、松江城が壊されずに残った経緯も紹介しています。城を築いた人だけでなく、後の時代にどう扱われたかをたどると、今見えている姿が少し違って見えますね。

萩城では、空いた天守台から「かつて建っていた天守」と「明治の解体」を思い浮かべてみてください。建物の不在も、城の歴史を伝える一つの手がかりです。

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参考資料

資料確認:2026年11月1日。表紙・年表図はAI生成の模式図で、実景、古写真、実物史料や建物配置の復元ではありません。最新の見学条件は萩市観光協会の公式案内でご確認ください。

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