安土城の天主が今ないのは、1582年、本能寺の変の後に天主・本丸など城の中心部が焼けたためです。ただし、出火原因や誰が火をつけたのかは確定していません。城としての役割を終えた「廃城」は、その後の1585年のことです。
信長の豪華な城が、どうして石垣の残る城跡になったのか。そこには「建物が焼けた時」と「城を使わなくなった時」という、二つの区切りがあります。一晩ですべてが消えた、と考えると見落としてしまう歴史です。
悩む庶民信長が亡くなったら、安土城もすぐになくなったんじゃないの?

天主が焼けても、残った施設と城の役割はすぐには消えなかったんだ。焼失と廃城を分けて見てみよう。
1582年に焼けたのは、天主・本丸などの中心部
織田信長が安土城を築き始めたのは1576年。1579年には天主が完成し、信長が移り住みました。安土城では、この高層の建物を「天主」と表記します。この記事でも、その呼び方を使います。
ところが、その約3年後の1582年に本能寺の変が起こり、信長は亡くなります。滋賀県の歴史解説によると、安土城は明智光秀の手に渡り、光秀が羽柴秀吉に敗れたすぐ後、天主と本丸が焼失しました。信長が亡くなった場所の本能寺と、焼けた安土城は、別の場所・別の出来事です。
ここで大切なのが、焼失した範囲。県の整備基本計画は、発掘調査の結果から、火災で焼けたのは主郭部、つまり城の中心部分で、山腹や山麓には施設が焼け残ったと説明しています。天主を失ったことを、そのまま城全体の消滅に置き換えることはできません。

出典:滋賀県「特別史跡安土城跡の調査と整備」、『特別史跡安土城跡整備基本計画』第3章、39~40ページ
誰が焼いた? 出火原因は一つに決まっていない
「本能寺の変の後に焼けた」と聞くと、光秀が焼いたのでは、と結びつけたくなるかもしれません。しかし、火災が起きた時期が分かることと、火を出した人物が分かることは別です。
県の整備基本計画は、信長の子・織田信雄が焼いたという説、城下の火が飛び火したという説、光秀のもとで城に残っていた明智秀満が去る際に焼いたという説を紹介しています。そのうえで、いずれも確かな根拠に欠けるとしています。
同計画は、信雄がその時に安土へ来ていないことや、城下と中心部を結ぶ道から炎上の痕跡が見つかっていないことを挙げ、信雄説と城下からの飛び火説には否定的です。秀満説を比較的可能性の高いものと評価していますが、それも「秀満が焼いた」と確定した、という意味ではありません。
謎は残ります。でも、分からない部分を誰か一人の行動で埋めずに読むと、歴史の資料がどこまで語れるのかも見えてきますね。
出典:滋賀県『整備基本計画』第3章「築城から廃城」、39ページ
天主が焼けても、城はすぐに廃止されなかった
県の計画には、焼失後にも秀吉や織田信孝、信長の孫の三法師などが安土城へ入ったことが記されています。天主の建物がなくなっても、信長の後継者であることを示す拠点としての意味が残っていたのです。
その後、政治の中心は秀吉へ移っていきます。1585年、秀吉は甥の秀次に八幡山城の築城を命じ、安土は廃城となりました。安土城下から八幡山城下へ、町の人々が移ったことも同計画で説明されています。
なるほど、建物を失った日が、そのまま城の終わりではないんだ! 1582年は天主などの焼失、1585年は城としての役割の終わり。この二つを分けると、信長の死後も続いた安土城の歴史が見えてきます。
「城」と「天守」の違いから知りたい方は、天守とは?天守閣との違いは?もどうぞ。城は、大きな天守一棟だけを指す言葉ではありません。
出典:滋賀県『整備基本計画』第3章、39~40ページ、同計画・第1章「計画策定の経緯」
今も残る石垣と礎石から、なくなった建物を考える
安土城は「なくなった」といっても、何の痕跡もないわけではありません。近江八幡市の公式観光サイトは、天主跡や本丸跡に柱を支えた礎石が残ることを紹介しています。石垣や石段も、失われた建物と城の空間を考える手掛かりです。
ただし、現在の城跡には保存・整備の手が入っています。滋賀県は、小さい礎石を土で保護し、その真上に模擬の礎石を置いて位置を示す場合もあると説明しています。見えている石をすべて、当時の現物そのものと決めつけないのも、城跡を見るポイントです。
また、安土山には信長が建立した摠見寺の三重塔や二王門が残っています。寺の本堂などを失った1854年の火災は、1582年の天主焼失とは別です。「安土城の建物がない」という話を、山内の建物がすべて同じ火事で消えた、という意味に広げないようにしたいですね。
建物がない城にも、焼けた時、使われ続けた時、守り伝えられてきた時があります。大きな天主を想像するだけでなく、足元の石からその時間をたどると、安土城跡の見え方が変わってきます。
出典:近江八幡市公式観光「安土城跡」、滋賀県「特別史跡安土城跡の調査と整備」礎石・摠見寺の説明
同じ「天守がない」でも、城ごとに事情が違う
江戸城も、天守が失われた後に城の役割が続いた例です。ただし、火災の時代も、その後の経緯も安土城と同じではありません。江戸城はなぜなくなった?いつまであった?と比べると、「天守の焼失」と「城の終わり」を分けて読む面白さが広がります。
資料確認日:2026年10月17日。表紙と本文図は城なびがAIで制作した模式図です。天主の外観、当時や現在の建物配置、焼失現場を正確に復元したものではありません。現在の入山条件や通行規制は変わるため、訪問前に公式の最新案内をご確認ください。
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こちらは、ある程度お城をめぐって、天守の美しさだけではなく、内部構造や城郭、土塁、石垣、門、櫓などお城を成している構造物に着目している方向けです!
より深くお城に対しての知的好奇心がわく内容になっており、これを見ながら巡ると、着眼点が「お城っていいな~」から「このお城を攻めるには/守るにはどうすればいい!?」と変わってきます!おすすめです!


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