二条城に天守がないのは、1750年(寛延3年)の落雷で焼失し、その後、再建されなかったためです。もともと天守を造らなかった城ではなく、建物を失ったあとも石垣の「天守台」が残っている城なのです。
二条城と聞くと、広い御殿や庭園が思い浮かびます。そこに、かつて五重の天守もあったとは! 高い建物が見当たらない景色の中にも、ちゃんと天守の歴史が残っています。

でも、御殿は今もあるよね。天守だけが燃えたの? あの建物は昔のまま?

そこが少しややこしいところです。天守、本丸御殿、二の丸御殿は、たどった歴史が違います。火災の年と建物の名前を分けると、すっきり見えてきますよ。
二条城の天守は、1750年の落雷で失われた
二条城公式サイトの「天守閣跡」の説明によると、本丸の南西隅には、伏見城から移されたと伝わる五重の天守がありました。後水尾天皇を迎えた1626年(寛永3年)の大改修で、本丸や天守などが整えられました。
その天守が1750年に落雷で焼失します。公式サイトは、その後に天守が再建されず、現在は天守台の石垣が残ることを説明しています。二条城「城内の文化財と施設」
「二条城には天守がない」という今の姿だけを見ると、最初から御殿だけの城だったと思ってしまいそうです。けれど、石垣の台の上には、かつて高い建物があった。空いている場所にも、見どころがあるんですね。
本丸御殿が焼けたのは、別の1788年
二条城の火災を一つにまとめないことも大切です。天守の焼失は1750年。本丸御殿などを失った大火は1788年(天明8年)で、別の出来事でした。
京都市埋蔵文化財研究所の発掘調査報告も、この二つを分けて記しています。1750年には落雷による天守の焼失、1788年には本丸御殿や隅櫓など多くの建物の焼失がありました。『史跡旧二条離宮(二条城)』「歴史的環境と立地」(本文4ページ)
年号だけだと混ざりやすいので、失われた建物に注目して見比べてみましょう。

天守がなくなってから、本丸御殿の大火までは38年あります。「二条城が燃えた」という一言では、いつ、どの建物が失われたのかが見えなくなるわけです。

同じ火事で、天守も御殿もいっぺんになくなったと思ってた!

二条城全体の歴史と、一つ一つの建物の歴史は分けてみたいですね。今ある御殿にも、それぞれ別の来歴があります。
今ある本丸御殿は、明治に移された建物
では、現在の本丸御殿は、焼けた建物を同じ形で建て直したものなのでしょうか。
二条城公式の説明では、現在の本丸御殿は、1893年(明治26年)に京都御所の北東部にあった桂宮御殿を移築したものです。江戸時代の本丸御殿が、そのまま残っているわけではありません。
「移築」は、建物を別の場所へ移すこと。本丸御殿という同じ呼び名でも、今見る建物には、宮家の御殿としての歴史があるのです。名前が同じだから同じ建物だろう、とは限らないんだ!
一方、二の丸御殿は、江戸時代から残る御殿です。二条城公式の「歴史」は、1626年の行幸に際して描かれたとされる障壁画などに触れ、天守や本丸御殿が焼失した一方で、二の丸御殿が往時の風情を伝えると説明しています。二条城「歴史」
天守があった台、江戸時代から残る御殿、明治に移された御殿。この三つを分けると、二条城の見え方が変わります。

図は、建物の形や敷地内の配置を復元したものではありません。天守台の空白と二つの御殿に、それぞれ別の歴史があることを見比べるための模式図です。
なぜ天守を建て直さなかったの?
天守が落雷で失われたと分かると、次は「なぜ再建しなかったのか」が気になります。
今回確認した二条城公式サイトと京都市の歴史資料では、1750年の焼失後、再建されなかった事実は確認できます。ただし、再建しないと決めた経緯や理由までは説明されていませんでした。
そのため、この記事では「幕府にお金がなかったから」「平和で必要がなくなったから」と、一つの理由に決めつけません。別の城の再建事情を、そのまま二条城の答えにすることもできません。京都市「都市史21 二条城」
分かるのは、落雷で天守が焼け、建て直されず、台が残ったという経緯です。焼失の原因と、再建されなかった動機は別の問いとして、ここでは分けておきます。
天守がない城では、石垣の上の空白を見よう
二条城の写真や案内図を見るときは、本丸南西の天守台、現在の本丸御殿、二の丸御殿の位置を確かめてみてください。高い建物の有無だけでは、城の歴史は測れません。
「何が残っているか」に加えて、「ここには何があったのか」「この建物は、いつここへ来たのか」。そんな問いを持つと、石垣の上の空白も、低く広がる御殿の屋根も、少し違って見えてきます。
天守と天守台の違いは、こちらで江戸城・明石城を例に説明しています。
二の丸御殿の「歩くと床が鳴るのはなぜ?」も、別の記事で仕組みから紹介しています。
御殿や城のつくりを、もう少し知りたい方へ
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参考資料
- 二条城「城内の文化財と施設」:「天守閣跡」の五重の天守・1750年の落雷焼失・未再建・天守台、「本丸御殿」の1893年移築。
- 二条城「歴史」:1626年の行幸に向けた改修、現存する二の丸御殿。
- 京都市埋蔵文化財研究所発掘調査報告2024-4『史跡旧二条離宮(二条城)』:本文4ページ「歴史的環境と立地」、1750年と1788年の別々の火災。
- 京都市「都市史21 二条城」:天守の落雷焼失と未再建。
資料確認:2026年10月18日。表紙と本文図はAI生成の模式図です。特定地点の実景、火災現場、建物の正確な形や配置の復元ではありません。


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